第63話   殿様の釣 W   平成15年11月29日  

殿様の釣は、其の多くが湯治がらみで行われた釣であった。

当時から庄内の三大湯治場として湯野浜、湯田川、温海の温泉場があった。その内湯野浜温泉は天領であったから行っては居ない。鶴岡から近い湯田川温泉では山の中であるから釣は出来ない。温海温泉は近くに海があり、釣に最適な磯が多く釣り場には事欠かない。

庄内の殿様が釣りをしたとある文献は、宝永4(1707)庄内藩酒井家の支藩であった松山藩二万石二代藩主酒井石見守忠豫(タダヤス)公の物である。温海の大庄屋本間八郎兵衛の覚書に寄れば湯村(現在の温海町大字湯温海)に湯治に来て奥方と一緒に浜遊びをして魚釣りを楽しんで帰られたと云うものがある。これは釣に関する庄内最古の記録である。それは生類哀れみ令の五代将軍徳川綱吉存命中(在職16801709)の事であったと云う事であり注目に値する。

次に殿様の釣で記録に出て来るのは六代酒井忠真(タダザネ)公が享保3(1718)9月に温海へ湯治に来て磯釣りを楽しんだとある。この殿様は在職中6回湯治ほどに出掛けているが、その都度釣りを楽しまれた。御一行百十名の行列での釣で雑魚を釣ったとある。次の7代酒井忠寄公は二回あつみ温泉へ行っている。9代忠徳(タダアリ)公は7代目から30年ぶりに温海温泉に出掛け磯釣りを楽しまれた。1700年代の殿様の釣ではまだ、大物を狙っての釣りを楽しむと云う釣ではなかったようだ。

1700年代の後半に至り釣の名人達(釣れるものは何でも釣る名人生田権太、大物を専門に狙う名人神尾文吉)が出てきた。1800年代になると雑魚中心の釣から神尾文吉の釣に習って黒鯛、赤鯛、スズキ等の大物を狙うようになったようだ。それに合わせて庄内竿の工夫も生まれて来ている。